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死んだオヤジをキッカケに、好きなクルマやバイクについての駄文を連ねる様になった男のくだらないblogです。

やっと書きます…“オレのRZ250(その1)”

…オレが中学2年生の時だったと思う。
通学路の途中にあるアパートの階段の下に、そのバイクは止まっていた。
ヤマハRZ350(4U0)』…確か、82年式の白/青3本ラインだったと記憶している。
 
実家からほど近い豊平川の河原、“モトクロスごっこ”から始まったオヤジの『英才教育』。
NS250R/F、RG250ガンマ、KR250、そしてTZR250…「レーサーレプリカ」が街中を颯爽と走り抜ける様になった頃、そのRZが放つ「佇まい」は何だか“気になる存在”ではあった。
 
翌年、帰宅途中の通学路を走る一台のバイク。
よく見るとそのバイクを駆るのは春に卒業したばかりの先輩だった。
BEETのハネ付きテールカウルと自家塗装らしきスカイブルーが印象的な、チョット族っぽいRZ250(4L3)。
そして何故かオヤジの机から出てきたRZ250/350(2型)のカタログ…穴が開きそうな程眺めているウチに、オレはRZの虜になった。
 
北海道の場合、“16歳”だと(当時は…今も?)原付か小型からしか「ライダー」にはなれない。
11月生まれのオレはすぐに原付免許を取ってもよかった…取りたかったのだが、オヤジと「協議」した結果、16になったあとの冬休みと春休みを使ってアルバイトをし、夏休みにアルバイトで手にしたお金を持って近くの自動車学校に入学、はれて自動二輪(小型限定)免許を取得した。
教習車はCB125T。オヤジが休みの日曜日、オレが実技教習だったりするとコースへ様子を見に来ていた…交差点を曲がる時、1段低いギヤを使って高い回転数で曲がるのを見ていた教官に「お前、“モトクロスあがり”だろ?」と全てを見抜かれて舌を出したこともあったっけ(照)。
 
幸か不幸か?その前から“教材用”に1台、オヤジからバイクを与えられていた。
XE50→CB50→MB-8、そして公道デビューはMBX125Fで果たした。
実はそのMBX125F、オヤジがよく行く自転車屋の店頭に並んでいたのを、オレの「イイなぁ…」の一言で、オヤジのCB93と交換+オレがオヤジに追金…という形で手にしたモノだった。
 
その後同じ自転車屋で同じように並んでいた『RZ125(1GV)』を見つけるとアッサリとそちらに乗り換えた。
4万円…でも確かにコイツは早かった。事故以外で唯一、公道で転倒したのもコイツだったが。
この2台のおかげで、すっかり“2ストローク”の虜になったオレが居た。
 
そこへ「青森の従兄弟が、RZに乗りたいならやるぞと言っている」という話をオヤジが持ってきた。
憧れのRZである…飛びつかない訳がない。
…こうして、いまも所有する『RZ250(4L3)』との付き合いが始まった。
 
イメージ 1
 
 
苫小牧西港のフェリーターミナルに取りに行くと、無人航送で既にフェリーから降ろされていたコイツは…というか、その時点で“既にくたびれて”いたのだが。
届いた時には
 ○トマゼリのセパレートハンドル → 速攻で外してバーハンに戻した。
 ○SSイシイのクロスチャンバー
 ○インテークチャンバー
 ○自作らしきバックステップ(従兄弟は鉄工所に勤務していた)    etc
という状態。
 
フロントブレーキは引きずりが酷く、キックも降りない…が、オヤジが力半分にキックしたら降りた。
そしてガソリンとオイルを入れるととりあえずエンジンはかかった!
しかし…チャンバーから吐き出される排気音は“けたたましい”という表現が適切な程うるさかった。
なのでとりあえずマフラーはノーマルに戻すことにした。
 
当時、札幌には「ミヤシタレッカー」というレッカー屋が事故車や不動車などのバイクを引き受け、自分で外す前提で部品を安価で販売していた。
そこには当時二束三文だった4L3や4U0がほぼ常時在庫していたおかげで、ノーマルマフラーもステップも安価で手にすることができた。
唯一ブレーキだけは当時行きつけのバイク屋でオーバーホールさせてもらった。←これも自分で。
 
並行して“限定解除(小型二輪 → 中型二輪)”しに、件の自動車学校へ再入学した。
教習車はVFR400K。17のオレは“ヨンヒャク”の重さにとまどいながら無事限定解除を果たし、RZに乗れる身分になった。
 
そしてナンバープレートも自分で登録しに行った。
当時の軽自動車協会は実家から10分ほど…必要な書類はオヤジがストックしていたから、必要事項を記入して窓口へ提出。自賠責保険も自分のカネでかけて、はれてオレのRZは公道を走れる様になった。
 
125と比べればパワー感が全然違う。もちろん車重も。
ヤマハ流リアステア”を意識しながらキチンと減速。その後倒し込んでコーナー出口が見えようが見えまいが、わずかにアクセルONしてフロントの荷重が抜ける位が曲がりやすい…と思った。
#よくよく考えたら「フロント18インチ」のバイクに乗ること自体初めてだった。
 
平日は学校で寮生活だから週末、帰省する毎にRZを駆って朝里峠・支笏湖線…と走りに行った。
おふくろが父兄面談で担任から「息子さん、休日はどう過ごされてるんですか?」と問われて、「バイクに乗ってどっか飛び出して行っちゃうんです」なんてバラしてしまったのも笑い話。
#もちろん“三ナイ運動”相当の学校だったので免許証は取り上げられ「主事注意」という処分を頂いた…が、
  春休み中、バイトへ通うのにバイクを使いたいと申し出たら免許証を返してくれた学校も面白かったな…。
 
そんな素敵な日も長くは続かず、帰宅途中あと3分で実家…というところで右直事故に遭ってしまった。
32φのフォークはぐにゃり。フロントフェンダーも割れてしまい…何より、事故届を出すのに2キロも離れた最寄りの交番まで来いと言われ、RZを押していく時の重さと悲しさ。
ま、“綱渡り(センターライン上をすり抜けること)”は止めましょう…ということで(恥)。
右直事故の相手の車、助手席に乗っていたのが中学校の先輩(女子)だったのには驚いたが。
 
MBX125Fで“サンキュー事故”をやった時は修理代の見積その他で「(プチ)事故成金」になり、イエローコーンの黄色いブルゾンを買える位儲かったのだが、今回はRZのプレミア度を主張しても「事故借金」になった。
仕方なく安く部品を仕入れてRZを(ほぼ自力で)直すことにした。
 
フレームはとりあえず無事…と判断し、RZ-RのF回りがボルトオンで入るのはそれ系の雑誌を読んで知っていたから、解体屋で倒れていたRZ250RR(51L)からフロント回りをGET。ついでにF回りの強化(フロントフォーク:32φ→35φ化&2POTキャリパー化)も終了。
バーハンは譲れないから初期型RZ250R(29L:ビキニカウルのヤツ)のトップブリッジを「新品」で取り寄せた。
#ただコレだとフロントフォークが長いんですよねぇ…上の29L用ならほぼ同じ長さなんですが。
 
ステアリングネックのベアリングはついでだからとテーパーローラー(SSY125)にして…とほぼ形になった頃、オレは成人式を迎えようとしていた。
 
イメージ 2
 
ラジエーターシュラウドはフルボトムした時に格子模様の部分が割れてしまったから潔く取っ払い。
オーバークール対策は定番の“黒ガムテ”。
インテークチャンバーも既に外したあと。
チョッピリ長いステンメッシュホースも、件のバイク屋で余ったステンレスバンジョーを貰って作ったものである。
 
しかしこの時、既に今の会社から内定を頂いていた訳で…。                     (その2)に続く。