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死んだオヤジをキッカケに、好きなクルマやバイクについての駄文を連ねる様になった男のくだらないblogです。

懐かし『証拠写真』

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…上の写真。
恐らく僕がバイクに乗っていることを示す数枚のウチの貴重な1枚である(しかもオヤジとツーショット)。
 
時は確か平成4(1992)年の9月5日(土)、『第10回北海道ミーティング』へ向かう途中。
会場の富良野市山部西20線「太陽の里」手前で参加者を出迎える“お立ち番”の前で止まった時に撮られたものである。
『北海道ミーティング』は大体“雨”がつきもの…ま、芦別岳の麓という場所的条件もあるのだが。
 
当時17歳の僕(当然右側)が被っているヘルメットはアライの『GIGA』。
コレ、実は藤島康介先生作のマンガ『逮捕しちゃうぞ』で、主人公の辻本夏美(♀)が被っているの同じモノ…という、若干不純な理由で購入。いまも捨てきれずに実家に置いてある。
RZはZⅡショートミラー(レプリカ)にハリケーンのコンチハン。
確かフロントフォークを20mm位突き出していたのかな?
 
オヤジはこの頃…というかバイクに乗っている期間の大半“オレンジ色のジェットヘル(ライン入り)+バイザー+ゴーグル”を被っていた。確かホンダの純正品(SHOEIのOEM)ではなかっただろうか?
“ヨンハン”にこのメットを被って走っていたら後日、「オマエ、あの日あの辺(バイクで)走っていたべ?」と、偶然その姿を見かけた同僚や友人によく言われたそうである。
 
この時は札幌から国道274号線「石勝樹海ロード」を経由し、日高町から国道237号線で日高峠・金山峠を越えて行った記憶がある。
途中、穂別のキャンプ場で休憩をとるとオヤジが突然「チョットRZ貸せ」と言いだした…ナニかと思えば、開通してまだ間もなく舗装状態もよかった穂別町稲里(現:むかわ町穂別稲里)~日高町日高まで続く“北海道らしい豪快なワインディングロード”を楽しむためだったのだ!
 
言われるがままにバイクを取り替えると、オヤジは白煙を残し“アッ!”という間にいなくなってしまった。
残された僕はオヤジのCL125(1形)でとりあえず「追う」のだが、スピードメーターは60km/h位から針がブンブン振れて何キロ指してるんだかサッパリ判らない。
エンジンは唸るばっかりで上りは3速でも失速するし…1形はCL125・CD125・CS125が空冷4サイクル2気筒なんだけど“1キャブ(CB125のみCB93からの血統で「ツインキャブ」でした)”。
いま思えば快活に走ろうとするなら明らかに“混合気が足りない”のだろうが、当時はそんなコトも気づかずとにかく“耐えて走る”のみ…そのうち、占冠村ニニウ(今の赤岩青巌峡・占冠ICへの分岐点)あたりで反対からオヤジが姿をあらわした。
そう、この頃の国道274号線は道東方面への大動脈(道東自動車道は開通前)。
出張で道東方面に行った際に通って“バイクで走ったらおもしろそうだ…”と予め下見ができていた訳。
 
RZを降りるとオヤジは開口一番「よく曲がるな!」…って、RZだって(この時)10年前のバイクですよ?
フロント19インチの“ヨンハン”とかと比べれば、前後18インチのRZは曲がるんでしょうが…時代はすでにフロント16インチを過ぎて17インチのレーサーレプリカが闊歩している時代なのに…。
 
思えば公道をオヤジと一緒にバイクで走ったのはこの時の他にもう一・二度あるかないか。
『北海道72ミーティング』とかにお邪魔して、ワンメイクで隊列組んで走るのも面白いし、そっから突然“チキチキ”バトルモードに突入するのも楽しい。
 
…よくよく考えてみたら、オヤジの前をバイクで走った記憶が無いな(悲)。