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死んだオヤジをキッカケに、好きなクルマやバイクについての駄文を連ねる様になった男のくだらないblogです。

“形見のヨンハン”

…気が付いたら「39歳」になった。
この約1ヵ月。
冬支度に忙しい日常の中で駄文を連ねる時間を捻出できなかった…といえばそれまでだが。
 
…実は昨年亡くなったオヤジから継いだ(勝手に継がされた)モノがもう一つある、それがこの『CL450』。
 
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~ 写真を祭壇に飾り、棺桶にも入れたんだから、ヤッパリ“持たせてやる”べきだったかなぁ…? ~
 
オヤジが亡くなって間もなく、税金とか後で厄介になると嫌だから一応名義変更しておかなきゃなぁ…と陸運支局に相談に行き
自動二輪車は財産に該当しないんです。
 三文判と住民票があれば名義変更できますよ。」
と言われガッカリしながらも、一応おふくろと二人の妹から財産相続に関する同意書をもらい、正式にオレのモノになったのが昨年の11月12日。
“38回目の誕生日プレゼント”にしちゃぁ出来過ぎだよ…と思いながら、新しい車検証を見せて墓前に報告したっけ。
 
実はコイツはオレと(車検証上は)“同い年”。
オレが生まれる少し前、昭和49年4月の登録で“一度もナンバーを切ったコトがない”。
途中“所有権の解約”くらいはあったろうが、「札」ナンバーを貼った正真正銘の(実質)ワンオーナー車。
CB450と同じ“ホンダ最初の”DOHCバーチカルツインを積んでいて、スピードメーターは「220km/h」まで刻んである(出るはずないよな…)。
 
オヤジが紹介された「某別冊MC誌」の記述には実は誤りがあって、1970年に開催された大阪万博に行く“旅の相棒”に選んだのは当時15万で買ったという中古の1968年式CL250。
通称「弁当箱」と呼ばれる白/青のソイツに、アクリル板から切り出した風防とサイレンサーのヒートガードに黄色い字で“さすらいの単車”と書き込んで、大阪万博どころか鹿児島まで行ってきたんだ…という話をよく聞かされた。
 
そのCL250を下取りに入れ新車で購入したがコレ。オレがおふくろの腹に居たことは知っていたらしい。
#おふくろも“チョット足りないところ”を補助してあげたんだとか…。
 
…以来、くぼっぴ家で“バイク”というと、基本的にはこの『CL450』を指すことになった。
古いアルバムをひっくり返すと、支笏湖線で一番キツい“25R”の上りでウィリー(というかパワーリフト?)に挑戦しているオヤジと“ヨンハン”の写真があったりする。
 
登録から10年が経って「1年車検(懐かしいですねぇ)」になったのを機にレストアし始めたんじゃなかったかな?
エンジンはさすがに手を出せなくて、塗装は確か伯父さんに頼んだはず…で、その頃「通勤用」と称してTL50やらXE50やらノーティダックスCY50やらを解体屋とかから仕入れて、1台のTL50を動く様にしたのが“CL御殿”を立てるに至るまでバイクのレストアにハマったキッカケだったと思う。
 
後にスクランブラー72さんのブログで紹介されている『CB450K1』を起こすと、“ヨンハン”の稼働率は一気に下がり、ついには自分の部屋に入れてしまった。たまにはエンジンかけてたみたいだけど…大丈夫かなぁ?
 
「“ヨンハン”はせがれに継がせる」って(本人に面と向かっては言わずに)逝っちまったけど…いまだに(大型二輪)免許が無いのでオレは乗れない。
でも、いつか乗れる日がきたら“ナナニィ”以上にオヤジのことを知ることができそうな気がする…そんな1台です。