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死んだオヤジをキッカケに、好きなクルマやバイクについての駄文を連ねる様になった男のくだらないblogです。

変わらない“モノ”、変わり続ける“モノ”。

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「北海道のへそ」富良野市字山部にある自然公園『太陽の里』
ここを開催場所に定め、およそ30年続くバイクのイベントがある。
既にお気づきかも知れないが『北海道ミーティング』がそれである。
 
“by the Machines & the Riders ~ライダー達の感謝祭~”という副題の通り
バイク乗りが年に一度、ココに集ってお互いの無事を確認する“だけ”のイベントのはずなのだが、
気が付くとバイクが好きな人の他に「この雰囲気が好きな人」も集まる様になって、バイクブームだった一時(いっとき)には、エントリー総数で800人を数えたこともある。
 
…当然、このイベントの存在を教えてくれたのは昨年ポックリ逝ったオヤジ様である。
この『北海道ミーティング(以下“ミーティング”と略す)』というイベントを興した発起人の一人、初代事務局長のU氏とオヤジは、そもそもアマチュア無線のクラブを通じての友人で、住まいがご近所だった時期もある。
オレ自身もその頃からU氏ご夫妻には可愛がって頂いていたらしく、クラブのソフトボール大会で若かりし頃の
“髪の毛のある”オヤジやU氏ご夫妻に混じり、ピースサインを出して写る幼顔のオレを見る度に苦笑いしてしまうのだ(照)。
 
結局オヤジは第3回から、仕事帰りにCL125で通りかかった工事現場の濡れた敷鉄板でスッ転び、鎖骨を折って欠席した第7回を除き、昨年の第30回まで参加し続けた。
#スッ転んだ現場に放置してきたCL125をピックアップしに行ったのは受験を控えた中3の夏休み、某学習塾の
  夏期講習に行く前に早起きさせられたオレとおふくろである。
  無論、家にはバイクを積める軽の1BOXがあり、バイクの積み方・固定方法をオレが知っていることは言わずも
  がな…ピックアップしに行った時、オヤジは病院のベットの上で動けなかったのだから。
 
オレが結婚する直前、たまたま日程が重なった衣装合わせでカミさんの両親が来た時でさえ、土曜日の衣装合わせが終わると、日曜日は早起きしてミーティングにいそいそと出かけていった…というのだからおふくろは呆れていた。
 
そんな『北海道ミーティング』、実はオレ自身も家族全員で行った第5回、そしてバイクの免許を取得して行った第9回から第22回までは参加していた。
更にはオヤジに半ば騙されて?、第10回から第22回までは事務局スタッフとして(本来「スタッフ」は居ないのが、このイベントの主旨なんだが…)運営にあたっていた。
カミさんと知り合ったのもこの『北海道ミーティング』であり、今の自分をつくる上で種々様々なモノを教えて頂いた、
まもなく不惑を迎える我が人生においても、とても大きな存在…でもある。
 
…が、定期異動で函館駅の構内改良工事(≒“ロトンダ:卵形の円筒(内部は吹抜))”が印象的な今の駅舎新築を含めた駅前再開発)に携わることになったのを機に事務局から、そして『北海道ミーティング』からは身を引いていた。
#つまり仕事が忙しくなって遊んでる場合じゃなくなった訳。
 
オヤジはミーティングである目標を立てていた。
「毎年一人、新しい“友達”を作ること」である。
“大いなるマンネリ”と揶揄される『北海道ミーティング』ではあるが、
決してそんなことは無く、毎年“あの人来てるかな?”“あの人と酒を酌み交わせるかな?”という感じで、
とりあえずオヤジはミーティングの主旨を理解して通っていた様である。
 
…当然、今年は逆に心配される立場になった。
ましてや昨年、ミーティングであんなに元気だったのに…と、突然の訃報に驚いた方が沢山いた訳である。
複雑な心境ながらもオヤジの愛したミーティングに、そしてミーティングでお世話になった方々に御礼を言いに行かなければ…と思いつつ、日常にかまけて申し込みを失念してしまったら逆に気を遣って頂いたのか、いまミーティングをまとめていらっしゃるM事務局長から「おいで」というメモ書きと共に、今年のミーティングの参加証が実家に届いていた…。
 
…およそ10年振りに訪れたミーティングは何も変わっていなかった
芦別芝生の青さそして会場の中央を貫く『アウトストラーダ
注.「アウトストラーダ(autostrada)」は本来、イタリアの自動車専用の高速道路を指すのだが、
   ミーティングではミラノ・ローマ・ナポリ・レジョ-ディ-カラブリアを結ぶ縦断道路である
   “アウトストラーダ-デル-ソーレ(「太陽道路」)”から語意を頂き“太陽の道”という意味で呼んでいる。
   (この辺が“イイ歳した大人の遊び心”というモノである。)
 
スタッフ(という言い方はしたくないのだが)のみんなも、オヤジの仲間も皆「あ、来たんだ。しばらくだねぇ。落ち着いたかぃ?」と声をかけてくれた。
初対面のさくさんや直接話をしたことが無いのに昔、参加者名簿作っているウチに覚えてしまったattiさん。すすきののビストロ『Gub』に行くと毎回会っていた様な気がするtetsuさん。到着早々記念写真をお願いされたMr.Xさんに『timetunnel』のMush、最後の記念撮影のためだけ?に現れた様なくらうまさん…ブログの情報力って凄いなぁと思う部分も改めて実感(滝汗)。
 
つい「スタッフ」として動いてしまいそうなので、覚悟を決めて挨拶回りを始め、開会式で黙祷(←コレ、オヤジに対してやってることになるんですがね…)をし、ゆっくり『コンクール・デレガンス』を楽しませて頂くことに。
その後、会場を一回りしてみると懐かしい顔が何人も…まぁ恥ずかしいやら照れくさいやら。
 
「基本、昔となぁんも変わってないよ」というM事務局長の言葉に、返す言葉が浮かばない。
“来るモノは拒まず、去るモノは追わず”というミーティングの基本精神も変わっていなかった。
 
…そんな談笑をしているとケータイが鳴った。
出てみるとおふくろ…どうやら泣いている様だ。
「あのね…Fさんが亡くなったんだって。今晩通夜なんだって。」
は?
その日の北海道新聞の朝刊、おくやみ欄に載っていたという。
 
…実はFさんも昔、『北海道ミーティング』の主要スタッフの一人だった。
色黒で長身、ガッシリした身体で低く通る渋い声(学生時代、合唱団に所属されていたらしい…)。
アポロキャップとサングラス、首に巻いたバンダナがトレードマーク。
ドニエプルのサイドカーパッセンジャーシートに収まる、小柄で笑顔が印象的な奥さんとのツーショットがとても素敵で、目標にしているご夫婦の姿(の一例)だった。
こんな時に限って買ったタバコが、いつも吸いたくなった時に買う『ハイライト』じゃなく『ショートホープ』だったのはそういうことだったのか?
#Fさんが愛飲していたタバコも(確か)『ショートホープ』だった…と思う。
 
確かに数年前から体調はあまり芳しくない…とは伺っていた。
でも、オヤジの通夜にもご夫婦揃って参列してくださったはず…。
よりによってこんな時に…。
 
最後まで残ったスタッフで記念撮影をした後、皆にFさんの訃報を伝えたら(その中では)最古参のHさんが絶句していた…そりゃそうだ、ミーティング初期からの盟友の訃報はツラかったに違いない。
 
帰路、FURANO MARCHEで「菓子司 新谷」さんの『へそのおまんぢう』を買い(実家へのお土産を含む)、おふくろと3人で通夜へ参列。
小柄な奥さんは更に小さく見えた。
「実は今日、ミーティングだったの…オヤジのことがあったから挨拶しに行ってきたんだ。」と告げ、
あえて包装も何もしていない、箱むき出しのままの『へそのおまんぢう』を祭壇に捧げた。
Fさん、この“シャレ”、わかってくれたかなぁ?
 
誰が決めたかこの定め…とは思いつつも、自分を可愛がってくれた人が居なくなるのは寂しい。
会社から“卒業”されても、e-mailで報・連・相できる相手だとしたって寂しいのに、
この世から居なくなってしまう…というのは最も寂しい。
 
太陽の里の芝生の青さみたいに変わらないモノもあれば、
1秒1秒、時を刻む毎に変わり続けているモノもある…ってコトなんですよね?
 
ご冥福をお祈りいたします(合掌)